リードは9ポイントあった。4月初旬のアーセナルには、22年ぶりのプレミアリーグ制覇をほぼ現実として語れるほどの余裕があったはずだ。それがわずか2週間で3ポイント差まで縮んだ。連敗、主力の離脱、そしてチャンピオンズリーグのセミファイナルという大一番が重なる5月——アーセナルはふたたび同じ崖の縁に立っている。
「また2位か?」「なぜ毎年こうなるのか?」という問いに、今季のデータは明確な構造を指し示している。
セットプレー依存という戦略的選択の光と影
アーセナルの今季最大の武器はセットプレーだ。シーズン序盤11試合でゴールの約50%がコーナーキックやフリーキックから生まれ 、コーチのニコラス・ジョヴェールが構築したルーティンの精度は欧州屈指と評される。この戦略は理にかなっている——セットプレーは再現性が高く、相手の戦術に影響されにくい。
しかし裏側にある数字は気になるものだ。アーセナルは今季、オープンプレーからの得点割合がプレミアリーグ20チーム中16位 。流れの中での崩し——ペナルティエリア内への侵入、ライン間でのワンタッチコンビネーション——が機能しにくい場面が続く。1試合あたりのxG(期待得点)は1.74 とリーグトップではないが、それをxG変換率118%(リーグ最高) で補っている構図だ。
アーセナルは「チャンスの量」より「作ったチャンスを仕留める質」で勝ってきた。この方程式は、相手がブロックを作りセットプレーの機会を削り、かつ選手が疲弊する終盤戦で崩れやすい。それが過去3年の失速の本質であり、今年も同じ構造的リスクが顔を出している。
主力の相次ぐ離脱が露わにした攻撃の限界
今季のアーセナルが抱えた最大の誤算は、攻撃の柱を担う選手たちの連鎖的な離脱だ。
ブカヨ・サカは3月のEFLカップ決勝(マンチェスター・シティ戦、0-2敗)以来、アキレス腱の炎症で戦線を離れている 。「日単位ではなく週単位で考えている」というアルテタのコメントが示す通り、全治の見通しは常に曖昧なままだった。チームが最も苦しんだ4月の連敗期間はサカ不在と完全に重なっており、右サイドを基点とするビルドアップと、彼が生み出すスペースがいかに不可欠かを逆説的に証明した。アルテタは4月21日時点で「今週中の復帰に希望を持っている」と述べており 、CLアトレティコ第1戦(4月29日)への間に合わせが目標とされている。
マルティン・ウーデゴールはスポルティング戦第1レグで膝を痛め、4月19日のシティ直接対決に向けて強行復帰した 。キャプテンとしてゲームリズムを司り、ハーフスペースに顔を出しながら展開を変える彼の不在は、アーセナルのビルドアップにおける縦への推進力を著しく低下させた。万全でないコンディションでの出場が続いており、5月の過密日程を前に不安は残る。
デクラン・ライスは今季28試合で4アシスト 。前進しながらスペースを見つける能力とセットプレーでの強度はチームに欠かせないが、4月中旬にトレーニングを離脱した事実が示す通り 、過密日程の消耗から無縁ではない。後半戦に入って「攻撃への関与を絞り守備を優先させる」アルテタの指示が増えたという指摘もあり、彼本来の推進力が制限される局面が増えている。
カイ・ハヴァーツは今季プレミアリーグでチーム最多の9ゴール 。ペナルティエリア内への走り込み、セカンドボールへの反応、セットプレーの競り合いといった「最もアーセナルらしい」得点者として機能し、サカ不在の時期に自身が背中で示した。ただ、チームの最多得点者が9ゴールという事実は、優勝争いをするクラブとしては物足りない。今季アーセナルがリーグ戦で二桁得点者を一人も輩出できない可能性すら残っており 、それ自体が「攻撃力の多様性の欠如」を示す指標だ。
エゼ、134億円の10番に何が起きているのか
今夏最も話題を呼んだ補強がエベレチ・エゼの獲得だ。トッテナムが先に個人合意に達していたところをアーセナルが”ハイジャック”し、移籍金6,750万ポンド(約134億円) でクリスタル・パレスから引き抜いた。幼少期にアーセナルのアカデミーに在籍していたエゼにとって、これは「故郷への帰還」でもあった。背番号10を与えられ、エミレーツ・スタジアムでは「one of our own」のチャントで迎えられた 。
アルテタは「攻撃的MF、右、左、どこでもプレーできる。彼はそれを気にしない」と語っており 、チームの攻撃的多様性を高める切り札として位置付けられた。実際、彼のドリブル突破とライン間での受け方はアーセナルのオープンプレーの貧しさを補う可能性を秘めている。
しかし、エゼが本来の破壊力を発揮できているかという点は疑問が残る。サカ、ウーデゴール、ハヴァーツという既存の主力とのポジション的な重なりをどう整理するか、アルテタの采配にはまだ課題がある。エゼが今後の最終局面、特にCLアトレティコ戦でどれだけ「個人で局面を打開できるか」は、この記事の問い全体への答えにも直結する。セットプレー以外でゴールをこじ開ける能力を、エゼが体現できるかどうかだ。
ギェケレシュ、55億円のストライカーに見えてきた哲学的ミスマッチ
今夏もうひとつの大型補強がヴィクトル・ギェケレシュだ。スポルティングCPから移籍金55億円(£55m)で加入し 、47試合18ゴールという数字を残している。個人の決定力は本物だが、スポルティング時代の1シーズン43ゴールという水準とは程遠い。
問題はゴール数よりも「使われ方」にある。アルテタのシステムはポストプレーよりもライン間での受け手を重視するスタイルであり、「ゴール前の獰猛さ」で評価されたギェケレシュの特性と完全には噛み合っていない。加入から1年での放出論が浮上するほど 、チームとストライカーの哲学的ミスマッチを指摘する声は内外から上がっている。ギェケレシュが輝くには、エゼやウーデゴールが「ゴール前で受けられる状況を作る」役割を担う必要があるが、今季はその連動性がまだ粗削りなままだ。
スビメンディとライス、制御の建築家が生む「出口の少ない迷路」
マルティン・スビメンディは今夏の加入以来、中盤に構造的な安定をもたらした。PLでのパス成功率88.8% 、UCLでは89.2% 、ボール奪取120回(UCL12位)。これらの数字は彼がただのパサーではなく守備の起点でもあることを示している。
スビメンディとライスによるダブルピボット(ボランチ2枚)は、アーセナルが「相手を動かして崩す」ためではなく、「ボールを失わずリスクを最小化する」ために設計されている。これはアルテタの哲学そのものだが、同時に「点が取れないときの脱出口が少ない」という問題の源泉でもある。マンチェスター・シティのロドリが担っていた「前線への配給者」としての役割を、スビメンディとライスの両名がどこまで遂行できるかが、攻撃の多様性拡大のカギだ。
PLタイトル争い予測 3ポイント差の意味
34節終了時点でアーセナル73ポイント、マンチェスター・シティは1試合未消化で70ポイント 。シティが消化試合で勝利すれば差は再び2ポイント差に縮まり、最終4試合は実質的に全勝が求められる状況だ。
ESPNのパワーランクは「現状のパフォーマンス水準を維持すれば、アーセナルはシティにわずかな差で敗れる可能性がある」と試算している 。残りの対戦相手(フラム、ウエストハム、バーンリー、クリスタルパレス)は紙面上では格下だが、スケジュールの構造こそが問題だ。
4月29日(CLアトレティコ第1戦)→5月2日(PLフラム)→5月5日(CLアトレティコ第2戦)→5月10日(PLウエストハム)。この中4〜5日の連戦は、「コントロールとリスク最小化」を哲学とするチームにとっても肉体的・戦術的な限界を試す。シティはCLに出場していない分、コンディション管理において明確なアドバンテージを握っている。アーセナルが優勝するためには、CLとPLを同時に「勝ちながら管理する」という高度なマルチタスクを5月全体で実行し続けなければならない。
CLアトレティコ戦 突破の条件と現実的な見立て
CLセミファイナルの相手は今季10月に4-0で粉砕したアトレティコ・マドリーだ 。シメオネが「今季最高の相手だった」と敗戦後に述べたほど、あの試合のアーセナルは完璧だった。だが10月と4月では状況が根本的に異なる。
あのときはサカが全力で機能し、ウーデゴールもコンディション万全、エゼも輝きを放っていた。現在は主力全員が何らかの傷を抱えた状態での対戦となる。アトレティコ側にも懸念材料がある——エースの怪我の可能性と、週末のラ・リーガ消化後のコンディション低下だ 。
今季UCL最低xG(0.93)を記録したスポルティング戦でさえ勝ち抜いた 経験は、「点が取れなくても守って勝てる」という自信に変換されているはずだ。アーセナルの決勝進出確率は五分五分——第1戦をアウェイで0-0か0-1で凌ぎ、ホーム第2戦でセットプレー1発を守り切るというシナリオが最もアルテタ的で、かつ最も現実的な道筋だ。エゼが「個で局面を打開できるか」は、その想定を覆す可能性を秘めた変数として機能する。
呪縛の正体と、今年だけが違う理由
アーセナルが終盤に失速するのは精神的な弱さでも選手の質の問題でもない。セットプレー依存型のコントロールサッカーという設計思想が、疲弊した状態で複数戦線を戦うときに脆弱性を露出する、構造的な問題だ。
マンチェスター・シティは今季コーナーキックからの得点でもアーセナルに劣らないが、同時にカットバックからのチャンスメイクも66回(リーグ最多) を誇る。攻撃の多様性において、シティはまだアーセナルの一歩先にいる。
それでも、今年は過去3年とひとつだけ違う点がある。アーセナルはCLのセミファイナルに進出している。PLを取れなかった場合でも、CLを制すれば「歴史的シーズン」として記憶される——その現実が逆に、プレッシャーを分散させる可能性もある。
サカが戻るか、エゼが覚醒するか、ギェケレシュが輝くか。呪縛を断ち切るカギは戦術の変革ではなく、限られた戦力と哲学の中で「最もリスクの低い一手」を選び続ける判断力にある。その答えが出るのは5月だ。


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