ガットゥーゾは泣いた。
「血が一滴も残っていないくらい痛い。W杯に連れて行けなかったことを謝罪する」——そう絞り出した男は、20年前、ドイツの芝でイタリアの4度目のW杯優勝を胴上げで祝った英雄だ。
2026年3月30日、ボスニア・ヘルツェゴビナのゼニツァ。スコアは1-1、延長でも決着がつかず、PKへ。イタリアはエスポジトがバーの上に蹴り、クリスタンテがバーを直撃させ、3本中わずか1本しか決められなかった。ボスニアは4本全成功。こうして、4度のW杯優勝を誇る国が、史上初めて3大会連続でW杯の舞台を踏み損ねた。
あなたが知っておくべきことがある。この敗戦は、一夜の不運では断じてない。
PK負けの前に、何が起きていたか
試合を振り返ってみよう。イタリアは前半15分、モイゼ・ケーンのゴールで先制した。流れはイタリアにあった——はずだった。
41分、CB(センターバック、最終ラインの守備の要)のアレッサンドロ・バストーニが一発退場。強豪・インテルの主力選手が、W杯を懸けた試合で退場してしまった。残り50分近くを10人で戦うことになったイタリアは、79分にハリス・タバコビッチに同点弾を許した。
そのまま延長も無得点、PK戦へ。結果は誰もが知っている通りだ。バストーニの退場が全ての原因、と言いたいところだが——そう単純ではない。
ここが本題だ。なぜイタリアには「退場者が出ても勝てる」だけの選手層がなかったのか。
セリエAのイタリア人比率は「32%」——数字が語る構造崩壊
この数字を見てほしい。32%。
これは現在のセリエAにおける、イタリア人選手の出場比率だ。裏を返せば、自国リーグのピッチの68%を外国人選手が占めている。さらに衝撃的なのがU-21(21歳以下)の出場時間だ。プレミアリーグやラ・リーガと比較しても、セリエAのそれはわずか3〜6%——欧州5大リーグの中で最低水準である。
若手が試合に出られないリーグで、どうやって代表が強くなるのか。ファビオ・カペッロ(元イタリア代表監督)はGazzetta dello Sport紙でこう断言した。「イタリアには凡庸な外国人選手が溢れ、イタリア人の若手が育つ場所がない。昔はマルディーニがいた。今は誰がいるか」と。
これはカペッロ一個人の愚痴ではない。データが証明している現実だ。
「カルチョ税制の罠」——誰も報じない根っこの問題
なぜ外国人選手がこれほど溢れるのか。試合結果の「その先」に、少し意外な話がある。
イタリアには「Decreto Crescita(成長令)」と呼ばれる税制優遇措置が存在した。海外から選手・監督を連れてくると、所得税が大幅に軽減されるという制度だ。クラブ側からすれば、イタリア人の若手を育てるより、外国人の即戦力を安く獲得する方が経済的に合理的になってしまう。
本来は経済活性化のための税制が、皮肉にもイタリアサッカーの育成を阻害する「罠」として機能した。スパレッティ前監督も「これは才能の問題ではなく、システムの問題だ」と繰り返し警告を発していたが、抜本的な改革には至らなかった。
Jリーグのことを考えてほしい。外国人選手の数が増えることと、若手日本人が育つこと——その両立がいかに難しいか、実はこれはイタリアだけの問題ではないかもしれない。
「カテナッチョ後」の空白——哲学なき20年
もう一つ、忘れてはならない問題がある。
かつてイタリアは「カテナッチョ」(堅固な守備ブロックを敷く戦術の代名詞)で世界に知られていた。守備の美学があり、ピルロのような「守備もできる創造的なMF」という独自の型があった。ところが「現代サッカーはハイプレスだ、ポゼッションだ」という世界の流行に乗り遅れるまいとした結果、イタリア独自の哲学を手放しながら、新しい哲学を確立できないままに時が過ぎた。
「ハイプレス」とは、敵陣で積極的にボールを奪いにいく守備戦術のこと。プレミアリーグやブンデスリーガがこれを洗練させる間、イタリアは方向性を定められずにいた。EURO 2020(実際の開催は2021年)の優勝はその「矛盾」を一時的に隠したが、根本は何も解決していなかった。
スタイルを失った国に、次のスタイルを示せる人物が現れなかった——これが「カルチョが現代に置き去りにされた」最大の理由だ。
ガットゥーゾ、あなたが泣くのか——20年という時間の皮肉
ここで、もう一度、この男に戻りたい。
2006年7月9日。ベルリン。延長でも決着がつかず、PK戦へ。イタリアはフランスを5-3で下し、24年ぶりの世界制覇を成し遂げた。ピッチで魂を燃やし続けたガットゥーゾは、優勝の瞬間、咆哮した。
その同じ男が2026年3月30日、別のPK戦の後に泣いていた。今度は歓喜ではなく、慟哭として。「今日は不公平だった。でも、この先のことは今は話したくない」——試合後の会見でそれだけ言い残し、彼は沈黙した。
ガットゥーゾは「犯人」ではない。彼は2025年にスパレッティの後を引き継ぎ、それまで機能しなかったチームに一定の秩序をもたらした。しかし20年分の「カルチョの宿題」の提出期限が、よりによって彼の在任中に来てしまった。その残酷さは、誰も責められない種類のものだ。
あなたがもし「ガットゥーゾはなぜ泣いているのか」と思ったなら、この記事が伝えたかったことはそこにある。
世界のファンは「また起きた」と思っている
海外のファンはどう見ているか。
Redditのr/soccerでは「可哀想というより、必然だろ」という声が多数を占めた。Fox Sportsは「イタリア国内では誰も信じられないという反応だが、世界は”また起きた”と受け止めている」と報じた。さらに「48チームに拡大されたW杯にすら出られないなら、そのトラウマは永遠だ」という辛辣なコメントも飛び交った。
一方、イタリア国内の反応は「虚脱感」という言葉がもっとも近い。驚きより、疲弊。怒りより、諦め。それがこの国のサッカーファンの今の空気だ。
世界の本音と当事者の感情のギャップ——そこにこそ、この事件の本質的な悲しさがある。
これは「他人事」ではない
最後に、少し視野を広げて考えてみてほしい。
イタリアの凋落は「強豪国だから特別な話」ではない。「自国リーグが外国人依存になる」「若手の育成が後回しになる」「哲学なき強化が続く」——これはどの国でも起こりうる構造的な問題だ。Jリーグが秋春制移行を決め、育成改革を語る今、日本はこのイタリアの轍を踏まないためにどうすべきか。
ガットゥーゾが泣いた夜は、一人の監督の個人的な失敗じゃない。20年かけて積み上げてきた「カルチョの宿題」が、提出期限を迎えた夜だった。
そしてその宿題の答えは、今この瞬間も、世界中のどこかの国で、次の締め切りに向けて積み上げられている。


コメント